紹介する判例
今回の記事は、東京地判昭和47年11月29日(判例タイムズ291号336頁)を題材としています。
この裁判例は、有望視されていた演歌歌手がデビュー直前に交通事故の被害にあい、顎関節の機能障害等(舌の運動知覚麻痺など)のため歌手としての前途を絶たれた事例ですが、逸失利益の基礎収入を歌手の収入としている点が注目に値します。
この裁判例をもって、デビュー直前に事故にあった歌手全員が歌手としての逸失利益を認められるというものではありません。
重要なのは事実認定の部分と考えられます。
デビュー前ではあったものの、これだけの事実があったからこそ、歌手としての逸失利益が認定されたという、そんな裁判例です。
同種の事例で立証をする際に参考になる裁判例といえます。
認定された事実のポイント
では、歌手の収入を基礎収入としたポイントを見ていきましょう。
・北島三郎氏のいとこであり、北島三郎氏にその才能を見いだされ、住み込みで直接指導などを受けてきたこと
・北島三郎氏の所属プロダクションの準専属歌手となり、北島一行に加わり巡業で前座を務めていたこと
・のちにクラウン社のテストに合格し専属契約を結んだこと
・クラウン社は原告をデビューさせる方針を決め、有望歌手のデビューの例にならい、養成・宣伝などに約2000万円の経費を投じたこと
・2000万円程度の経費を投じた場合、レコードの売上げが半年で10万枚~20万枚に達しなければ採算が採れないこと
・新人歌手は、プロダクション等の支援でテレビ・ラジオの出演機会が確保され、それにより知名度が高まること
・原告が単独で歌ったレコードの評判・売行きは悪かったものの、北島三郎氏と原告がともに歌う形式をとったレコードは相当の売行きを見せたこと
裁判所の判断
以上の事実を認定したうえで裁判所は「原告が事故前、クラウン社の担当者から有望視され、同社において、原告を歌手として世間に送り出すため多額の投資をしており、また、歌手北島三郎の支援を受けていた事実からすれば、今日の芸能界において一人前の歌手となるのは容易の業でなく、大部分の者はその志を遂げないで終るのが実情であるとしても、原告は、事故にあわなければ、艶歌歌手として昭和四四年二月にデビューし、少なくとも五年間は一人前の歌手としての生活を送つたものと推認するのが相当である」と判示しました。
なお、5年間というのは原告の主張通りの年数です。
裁判所は、演歌歌手の寿命は比較的長く5年をくだらないと認定していますので、5年を超える労働能力喪失期間の認定もあり得るでしょう。
どれだけ売れる見込みがあったかがポイント
今回の裁判例では、デビューにあたって多額の投資がされていたことは大きなポイントと考えられます。
それだけの投資に値する人物であったという点はもちろん、投資をすればそれなりの成果は得られるものです。
「俺は世間や所属プロダクションには認められていないけど、絶対売れたはずなんだ」と強弁しても裁判所を説得するのは困難でしょう。
上記のように、プロダクションの支援等を具体的に立証することが重要と考えられます。